今日はご近所の方のお葬式がありました。
いつも笑顔で話しかけてくださった、とても優しい方でした。
入院していたことも知らなかったし、今日のお話しでは四年くらい前から病気があったそうです。
もう一度お話ししたかったな、と思う方でした。
お葬式は何度も出席しましたが、今日初めて経験したことがありました。
式が始まる前に、司会の女性が亡くなった方と奥様のなれそめや、ご家族との様子、趣味の仲間との交流などを物語りのようにお話ししたのです。出会いの時の様子など、ドラマを見ているかのような感じでした。
周りの方も当時の様子を思い浮かべて、思わず涙していました。
生まれが藤枝の方ではなかったので、親戚の方々も少なく、ご近所や趣味の仲間が多い葬儀でした。司会の方のお話しを聞いて、人となりを思い、悲しみが募った方も多かったようでした。
終わってから休憩の席で隣に座った男性は、「自分の時もこういうふうにしてもらいたい、今から話して貰うことを考えよう」と言っていました。
女性の参列者も「思わず涙がこぼれた」と言っていました。
私は帰り際に、葬儀の担当者に声を掛けてあのお話しはどうやってどなたが書いたお話なのか聞いてみました。すると、「司会の女性が喪主様のお宅に伺って取材し、自分で書いたんですよ」と教えて下さいました。
参列者も ああいう話は初めて聞いた と言っていました。
故人を忍び、お葬式という最後のお別れの席にぴったりの良い内容だったと思いました。
一つ、文句を言うとすれば お坊さんのお経があんまり感動しなかったことかな。。
何言ってるかわからないのは仕方ないとは思わない。私の実家の菩提寺の和尚さんのお経は、内容がよく解る。サンスクリット語だからわからないのが当たり前ではない。日本人が日本人のために詠んでいるお経なんだから、伝える気持ちがあるなら伝わると思う。
お葬式もいろいろ。
送られる人、送る人、私はそのとき どんな風にいられるだろう。
この記事へのコメント
私も同感です。だいたいの家は先祖代々のお寺との付き合いがあるので簡単にあのお経がいやだからと代える訳にはいけませんからねぇ。